国立西洋美術館

国立西洋美術館について

美術館概要

国立西洋美術館はフランス政府から寄贈返還された松方コレクション(印象派の絵画およびロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクション)を基礎に、西洋美術に関する作品を広く公衆の観覧に供する機関として、1959(昭和34)年4月に発足しました。
以来、広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館として、展覧事業を中心に、西洋美術に関する作品および資料の収集、調査研究、保存修復、教育普及、出版物の刊行等を行っています。

これらの事業のうち、展覧事業に関しては、本館(ル・コルビュジエ設計、1959年)・新館(前川國男設計、1979年)において、当館設立の趣旨である松方コレクションの作品および創立以来毎年購入しているルネサンス以降20世紀初頭までの作品および寄贈・寄託作品を常設展として年間を通して開催しています。

2016(平成28)年7月に国立西洋美術館を構成資産に含む「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕着な貢献―」が、世界遺産一覧表に記載されました。

名称 独立行政法人国立美術館 国立西洋美術館
所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号
松方コレクション
国立西洋美術館の原点である「松方コレクション」を築いた松方幸次郎(1866-1950)は、明治時代に総理大臣を務めた松方正義の三男です。彼はアメリカ留学後、父親の秘書官などを務め、1896年に神戸の川崎造船所の初代社長に就任しました。第一次世界大戦中に造船で多大な利益を上げた松方は、ロンドン滞在中の1916年に美術品の購入を始め、それから10年の間に、3千点以上もの西洋美術作品を買い集めました。

松方が美術品の収集に情熱を傾けたのは、彼自身の趣味のためではありませんでした。彼は私財を投じて「共楽美術館」という名の施設を作り、日本の人々に西洋の美術作品を見せようとしていたのです。それは日本で最初の西洋美術専門の美術館になるはずでした。しかし、1927年の経済恐慌によって川崎造船所は経営危機に陥り、松方は会社の再建のために自分の財産を提供しなくてはなりませんでした。彼の美術館計画は消え、日本に運ばれていた美術品は、数度の売り立てによって散逸してしまいました。また、ロンドンの倉庫に保管されていた約1千点の作品は、1939年に倉庫の火災によりすべて失われました。

一方、パリに残されていた作品群は、第二次世界大戦の末期に敵国人財産としてフランス政府に接収されます。しかし、その大部分は、1951年のサンフランシスコ平和条約締結後、日仏友好のしるしとして日本へ返されることになりました。そして1959年に、フランスから寄贈返還された「松方コレクション」370点を保管・公開するための施設として、国立西洋美術館が開館しました。

よって開館当初の国立西洋美術館のコレクションはフランス近代の美術作品が中心でしたが、その後は購入や篤志家からの寄贈を通じて成長を続け、その対象は西洋美術全般に広がっています。松方幸次郎の「共楽美術館」の理念を受け継いで、西洋美術の歴史をたどることのできるコレクションを広く公開し、後世の人々のために保存することが、国立西洋美術館の最も大切な仕事です。
ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエ(1887-1965)は、スイスのラ・ショ-=ド=フォンに生まれ、当地の美術学校で学んだ後、ウィーン、ベルリンで建築・工芸の新しい運動に触れ、パリでキュビスムの影響を受けました。
1918年、理性的で秩序のある構成を目指すピュリスム(純粋主義)を唱え、画家としてデビューし、雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」でそのピュリスム運動を展開しました。
建築は、ペレ、ベーレンスに短期間師事したほかは独学で、1927年、ジュネーヴの国際連盟本部の設計コンペティションに当選して建築家としての名をあらわしました。代表的な建築は、ポワッシイのヴィラ・サヴォア(1929-31)、マルセーユのユニテ・ダビタシヨン(1947-52)、ロンシャンの聖堂(1950-54)などがあります。
ル・コルビュジエ建築の特徴は、ピロティー(柱)、骨組みと壁の分離、自由な平面、自由な立面、屋上庭園にあります。当美術館の本館はこれらに加え、展示室の中心にスロープで昇っていく渦巻き形の動線に特徴があります。